日本民謡ガイドブック

民謡ガイド㉚秋田小原節 〜解説、歌詞、意味〜 

 

民謡は難しくないし、古臭くない!日本に伝わる民謡を一曲ずつ解説していきます。第30弾は秋田県民謡、「秋田小原節」。歌詞に特徴があり、聴きながら歌詞を眺めると、しみじみとした趣を感じます。秋田の空を思い浮かべながら、聴いてみてください。

児玉宝謹の寸評

秋田県特集10曲中6曲目は、「秋田小原節」。

○○小原節(おはらぶし)という曲名は、日本民謡界では数多く見受けられます。それについての解説は後述しますが、この曲は歌詞が特徴的です。擬人化が面白いというか、そういう目線で動物を見ると親近感も湧くってもんです。

ひょっとしたら、こういう会話が成り立つのかもしれません。いや、少なくとも僕はそう信じてます。意識を向ければ、ちゃんと伝わる!万物の霊長を自認するなら、啼かせる(泣かせる)ようなことはせず、共存出来る知恵を出しましょう~。。。

歌詞を読んでみよう

「ハー」 「サーサ」出したが良い
「ハー」 野を越え山越え深山越え あの山越えれば紅葉山
紅葉の下には鹿がおる 鹿がホロホロ啼いておる 鹿さん鹿さんなぜ啼くの
「ハー」 私の啼くのはほかじゃない 遥か向こうの木の影に
六尺あまりの狩人が 五尺二寸の鉄砲担ぎ 前には赤毛の犬を連れ 後ろに黒毛の犬連れて
「ハー」 あれに撃たれて死んだなら 死ぬるこの身は厭わねど
あとに残りし妻や子がどうして 月日を送るやら
思えば涙が オハラ 先に立つ

詳しい解説

秋田県民謡。

唄の題名として「小原」または「おわら」の前に、地域名を冠した民謡は数多く見受けられる。鹿児島小原節、越中おわら、塩釜おはら、津軽小原節、そしてこの秋田小原節などである。元々これらは港町の酒盛り唄として唄われていたものだが、秋田小原節に限っては、津軽小原節から派生した経緯がある。

秋田小原節の由来は、明治37年頃、青森県生まれの黒川桃太郎が唄った、二上り新内のアンコ入り小原節に始まり、後にレコードで一世を風靡したカンセイクニコの唄う「カンセイクニコの小原節」(津軽小原節の旧節)に受け継がれた。現在の形の原型は昭和の初め、これらを元にした口説き調の秋田小原節として、佐藤貞子が地方巡業で唄ったものと伝えられているが、この時の秋田小原節は、津軽小原節のイメージを多分に含んでいた。津軽の人々は、有名な佐藤貞子が唄うのだからと黙認はしたが、他の秋田県人が唄うと”津軽の真似をして”と軽蔑されるため、次第に廃れていき、後に秋田に巡業に来た村岡一二三が一人細々と唄うのみとなった。

しかし昭和43年4月16日、民謡研究家竹内勉氏が、秋田県に巡業に来た浅野梅若にこの唄の復活を依頼し、同44年に浅野和子が、同45年に村岡一二三が相次いでレコード化するに及んで、次第に全国に広がっていったのである。

演奏のポイント

【演奏のポイント】

実は、伴奏形態が二種類あるというのが珍しいと思います。細手(ほそで)と、太手(ふとで)というもので、前者は中棹でも演奏可能なもので(でも基本太棹ですが)、後者は津軽三味線つまり太棹で演奏されます。楽譜も全く異なっていて、細手は唄のフレーズに寄り添った感じで、言われてみれば秋田らしさが出てるなぁと思えるもの。かたや太手は如何にも津軽三味線らしい力強さが前面に出てます。

すると唄は違うのかとなりますが、これが意外と、両者で異なるのはテンポ感だけ。細手が太手より少し速いだけで、歌詞も節回しも全く同じです。上記の解説にもありますように、時系列的に成立時期は太手が先だったのでしょうね~ 因みに幸真會は細手をアーカイブしております。

で、演奏形態としては、三味線、尺八、締太鼓、そして唄のカルテットです。太手のほうがテンポは緩いので肺活量が問われますが、のど自慢さんには格好のアピール曲で、コンクールでもよく唄われます。各コーラスの最後の節回しがこの曲の特徴で、出来ることが必須です。頑張って下さいね。。。

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