「関西民謡界の異端児」と呼ばれる民謡指導家が、神戸にいる。彼の元には、「和楽器でバンドを組みたい」「民謡を覚えたい」という、音楽に興味のある老若男女が、京阪神中から続々と集っているとか…。
民謡指導家・児玉宝謹氏に、「異端的」な民謡教室の運営の実態と、今後の展望についてお聞きして来ました。
―自己紹介をお願いします。
神戸市を中心に、複数の教室で民謡・和楽器を教えている児玉です。松榊研究所代表、幸真會の二代目會主もつとめています。
民謡を趣味に持つ父の元に生まれ、4歳から12歳までテクニトーンを習い、中高では吹奏楽部に在籍しました。父の後を継いだのは22歳のとき。幸真会発会3年後、56歳で亡くなった父から、楽器とお生徒さんを受け継ぎ、今年で指導家として30年目を迎えます。
―「アメーバ的」な教室運営を行っているとお聞きしました。
現在、僕の「お生徒さん」は約30名。彼ら、彼女らの属性はさまざまです。「六甲教室」は70代中心、譜代のお生徒さんもいます。対して「スクール」と呼ばれるお教室には、大学生や20代も在籍。また唯一大阪で開講している「京橋教室」では、20〜40代の若手が、和楽器で洋楽やJ-popのセッションバンドを組んでいます。
オンラインレッスンも盛んです。Skypeなどを繋ぎ、遠隔地のお生徒さんであってもレッスンが可能です。「民謡のお教室」というイメージの枠にはまらず、どこでも、求められることを、ミニマムに行っているので、まさにアメーバ的かも知れません。
―教室ごとに特色が違うようですが、どのように決めていますか?
僕は基本、「受け身キャラ」。自分で「こうしたい」と決めて取り組むより、人から求められる環境に乗っかっていくことで、思わぬ風景が見えたりします。
中には突拍子もないオファーも来ます。が、それに一生懸命お応えすれば、新しい発見や、予想外の手柄がいただけることも多い。お教室ごとに特色がまったく違うのも、僕が決めたことではありません。集まったお生徒さんの「やりたい」に沿って、技術を提供しているだけ。
「枠にはまらない」という部分では、僕自身の洋楽経験と、生まれ育った民謡の環境が自身の中でうまくコラボしていると感じています。音楽をやりたいという欲求に、しきたりやルールは必要ないのではないかと。
その結果、既存のレールに乗った教室運営にはなっていませんから、「関西民謡界の異端児」と呼ばれてしまっているのでしょう。
―そもそも民謡教室の「既存」って何でしょう?
「三味線を習いたい」と思ったら、三味線の師匠に弟子入りして、三味線だけを習う…。これが和楽器教室の「既存」だとすれば、僕のお教室はずいぶん既存外です。
たとえば京橋教室は、やってきたお生徒さんに複数の楽器を渡して、「とりあえず触ってごらん?どれが好き?」から始めます。「三味線を持ってみたけど、しっくりこなくて、三線にしてみた」「初めて持った尺八が、なんだか楽しかった」そんな体験をスタートにして、「とりあえず音を出してみようか」と進めます。
普通の教室では、「楽器の各部の名称を覚える」「構える」「さくらさくらを練習する」「一定の時期を経て発表会に出る」などと、一通りの段階を踏むのでしょうが、僕のお教室に「決まった段階」は一切ありません。チャンスがあれば楽器を持った翌月に人前で弾いたっていいし、最初っから難曲に挑戦したっていい。しかしこのようなスタイルは、一般的には「あり得ない」とされています。
-とてもシンプルで楽しそうな教室スタイルですが、なぜあり得ない?許されない?
ぶっちゃけてしまうと、「自分の弟子がまだ下手くそなのに、人前に出したくない」と思う先生方が多いからでしょうね。でも、僕は一切思いません。僕が何をいわれようと、まったく気にならない。だからチャンスがあったら、どんどん人前に出てもらいます。教える側の見栄は不要です。
―生徒さんたちは、どのようにして教室にやってきますか?
たとえば最近、篠笛のお生徒さんが増えています。
吹奏楽部でバリトンサックスをやってた男性は、音楽を再開したいけれど、サックスは重いから…と、手軽にできる篠笛を始めました。また、地元の神社の祭りで「笛吹かない?」というオーダーを受けて、僕のお教室にたどり着いてくれた方も。モチベーションはさまざまですが、人生の中にちょっとしたきっかけがあって、習いに来てくれます。
しかし、和楽器や民謡のお師匠さんに関しては、9割が保守派。僕のような革新派はほんの一部なので、自分の「やりたいスタイル」がハッキリしているのであれば、僕の教室に来てくれたのは良かったと思います。
―和楽器と聞くと、とても難しそうに思えます。全員が演奏できるようになりますか?
全員が演奏できるようになるとは、いい切れません。たとえば経験上、尺八は器用不器用がはっきり出る楽器です。向いているかどうかは、指先の動きを見たらすぐに分かります。
たとえ向いていなくても、「やめとき」とはいえませんが、頭打ちになる高さが低いのは変えられません。また音感がまったくない人は、音のズレが自分で分からないので、上達は困難でしょう。
僕にできるのは、その人なりの楽しさを一緒に考えてあげること。たとえ挑戦して失敗しても、それはそれ。堅苦しいお師匠さんに弟子入りして失敗するよりは、僕のところでノビノビ失敗してくれたらいいかと思っています。
―そのような、ある意味型破りな教室運営は、同業の方にはどう思われているのでしょうか
さぁてねぇ~(笑)。
でも、そのあたりは気にしていませんね。生徒さんが楽しく続けてくれている事実にこそ、正解があるので。
先日、ジャンルを超えた指導家としての生き方の話ができる、僕にとっても嬉しい機会がありました。若い世代は、しきたりやルールに縛られていません。本質に気が付いていれば、型破りかどうかなど、無意味でしょう。
―神戸で教室を持つことの意義は?
僕が自由にできているのは、神戸という土地柄も関係あると感じています。神戸は坂の町で、山と海が近く、革新的なものごとが生まれやすい街だからです。
お教室の人数を集めようと思ったら、大阪には負けますよ。でも大阪は平野で、ビジネスはやりやすいが、僕の中から新しいものは生まれにくい気がしている。その意味でも、神戸という土地は僕にとって特別です。
―指導家としてのエピソードをお聞かせください
大阪のとある高層ビルの上棟式で、職人さんたちが「木遣り」を唄うことになり、指導役が回ってきました。しかし音楽に縁のない職人さんたちは、揃いも揃って門外漢。かたや僕に与えられた時間は半月間で2~3回。しかもお仕事を終えてからの練習なので、お疲れのなか。それでも結果的に50人もの職人さんに木遣りをマスターさせ、建築会社の社長さんを感嘆させたことがあります。
また小学校で篠笛の授業を導入したものの、うまく指導できる先生はいない。「なんとかしてくれ」とお声がかかり、45分の授業を受け持ちました。授業開始時は、クラスで数名しか音が出ていない状態でしたが、授業開始たった10分で、クラスのほとんどの児童が音を出せるようになり、先生方を驚かせたことも。
老人介護の施設の慰問でも、寝たきりで意思疎通ができない入居者さんが、僕の民謡の声を聞くとふっと目をあける。声のする方を見て、口と手を動かしたりする。阪神間には、地方出身の方も多いでしょう。生まれ故郷の民謡を唄ってあげると、脳活性がはじまります。
これは僕ではなく民謡の力ですが、奇跡のような瞬間を幾度も経験しています。そのたび「指導家」という生き方に感動を覚えます。
―「音楽と音楽、人、世界をつなぐハブになりたい」とのことですが
サラリーマンの経験がないまま、22歳で指導者になった僕は、人間形成的には不利な人生でした。謙虚にしていたつもりでも、陰で叱られたこともあれば、よかれと思った行動で失敗したこともたくさんあります。
しかし僕なりにできることを見据えて、やっていきたい。民謡の専門家である以上、「日本の伝統文化」がベースにはなりますが、今から民謡を習う人には、「世界は広いよ、つながっているよ」と誘導してあげたいですね。民謡はどの国にもあり、世界人口を網羅しています。それを楽しみ尽くそうと思ったら、既存の家元制度や、会派流派という考え方では追い付かない。
だから僕が、世界中の音楽のハブになりたいと考えています。
これから民謡を習う人は、「日本の民謡」の枠にとらわれず、人生や世界を豊かにする「文化」に触れて欲しいですね。そのために、文化・芸術で、豊かな人を育成するコミュニティ構想も進行中です。賛同いただける方に巡り会うべく、僕も活動の幅を広げていきたいです。
ライターあとがき
民謡という難しそうな教室も、「異端児」の手にかかれば自由でワクワクする空間に早変わり。世界の音楽には垣根がない、ということを、民謡指導という切り口で次世代に伝えている児玉氏でした。阪神間であれば、もっとお教室を増やしたいとのこと。「民謡・和楽器を習いたい」「お教室を開いて欲しい」というオーダーはお気軽に。
遠方の方でも、オンラインでお稽古ができる「バーチャルレッスン」のご相談は随時受付中です。ジャンルや距離の壁を超えて、民謡の世界に飛び込んでみませんか?