民謡は難しくないし、古臭くない! 日本に伝わる民謡を一曲ずつ解説していきます。
宮崎県シリーズ第6弾は「刈干切唄(かりぼしきりうた)」♪ 今風に言えば、前回の元唄のカヴァー版でしょうか。。。
児玉宝謹の寸評!
元唄のカヴァー版(笑) しかもメジャーからマイナーにリニューアルって~ いやいや、音楽的に「カヴァー」というより「それ違うじゃん!」ってなレベルですよね(笑)
その理由なんですが、
もともと民謡というのは、古今東西を問わず人々の日常から生まれたものです。日々の暮らし、思い、イベントなどが媒体となって・・・そこには当然「それに対してどう感じたか」や、「平生どう思っているか」が、楽曲の全てを左右します。ましてインストではなく「歌・唄」は、歌詞とメロディーとで成り立つので!
学校の音楽の授業でも習いましたが、メジャーは明るい感じ。マイナーは暗い感じと。そこに於いて人は、暗い世相や心情の時に、マイナーは唄いたくないですよね。暗さを味わえるなんて、ある種の「余裕」ということ・・・
つまり、この唄が発祥した頃は、やはりこの「刈り干し切り」の作業は、辛いものだったということです。それが後年、この唄の出来栄えを楽しめるようになり、作業や営みを音楽の立場から俯瞰して見た時「マイナーだよね~」と・・・
これは世界中の民謡や他ジャンル音楽、現在でも言えることで「マイナーを楽しめるのは豊かさの象徴」なのです。
それからいくと、、、んー、まぁカヴァーと言ってあげても良いかなと(笑)
歌詞を読んでみよう!
*基本、歌詞と解説は同じですが掲載しておきます*
ここの山○の 刈り干しゃ済んだ「ヨ」 明日は田んぼで 稲刈ろか「ヨ」
もはや日暮れじゃ 迫々かげる「 」 駒よいぬるぞ 馬草追え「 」
秋も済んだよ 田の畦道を「 」 あれも嫁じゃろ 灯が五つ「 」
誰に見しょうと(たれに見らりょと) 思うて咲いた「 」 谷間谷間の 岩つつじ「 」
唄でやらかせ この位の仕事「 」 仕事苦にすりゃ 日が長い「 」
雨もざんざ○ 霧も○ざんざ「 」 今朝の朝草 刈りかねる「 」
雨か霞か 峠の茶屋で「 」 別れ袂が 濡れかかる「 」
私ゃここ○の 深山の小笹「 」 藤にまかれて 寝とうござる「 」
屋根は萱葺き 萱壁なれど「 」 昔ながらの 千木を置く「 」
おまや来ぬかよ 嬉しい逢瀬「 」 こよさ母屋の 唐黍むき「 」
お日は照る照る 刈干ゃ乾く「 」 さぞやよろこぼ 牛馬は「 」
詳しい解説!
宮崎県民謡。
秋には美しい紅葉で有名な、宮崎県西臼杵郡高千穂地方の、萱刈りの作業唄である。
刈り干し切りというのは、日向の高千穂辺りの野山で生えている笹や萱を、刈り取ってよく乾かしてから、民家の屋根を葺いたり牛馬の飼料にするという作業のことである。急勾配な山の斜面で、柄の長さが1メートル以上もの鎌を振り回しながら萱をなぎ倒すかなり重労働な作業で、盛りの秋頃には迫々で掛け合いで唄われたこともあったという。
高千穂の町だけで唄われる正調と、広く流布されているものとの二種類があるが、いずれも大鎌を使う動作により、節回しやテンポは悠長なものである。尚、町当局ではこの唄の普及に「刈り干し切り歌」の免許証を出しているそうだ。
高度で上品なこの唄が、いつ頃どのようにして作られたのかは全く不明である。大正末期に、故秩父宮殿下がこの地に見えられた時にお耳に入れられたと云われている。
演奏のポイント!
元唄はやはり「作業唄」の意味合いが強いので、それを想起させるものが必要ですが、現代版ともいうべきこのマイナー調は「舞台芸術」として如何に聴かせるかが焦点だと思います。尺八とお唄のDUOという、最小限の、もう逃げも隠れも出来ないガチンコ勝負w 有名だし名曲だから、一度は唄いたいと思うものの、結局のど自慢さんでしか手に負えない難曲でもあるのですよね~ そののど自慢さんでさえ、一朝一夕のテクニックだけでは出せないものがある・・・ 「頑張って下さい」としか言いようがござりませぬ。。。w