民謡は難しくないし、古臭くない!日本に伝わる民謡を一曲ずつ解説していきます。都道府県特集の第二弾は、南へ飛びまして、九州は宮崎県シリーズ8曲をお届けします。筆頭は何と言ってもこれ!この曲から始まらずして何の宮崎県でしょう!はい。「稗搗節」でございますぅ~♪
児玉宝謹の寸評
宮崎県民謡には名曲が多いです!曲数こそ、先ごろの秋田県ほど多くはないですが(てか秋田県多すぎw。他にも東北も北海道も多すぎw)如何にも西国らしい&温暖な九州らしい、しっとりとした親しみやすい曲が多いです。
解説にもありますが、特にこの稗搗節は源平合戦が発端なので、いにしえ人の品格に根差した心の機微といったようなものがこの曲の根底に流れていて、僕は温かい心持ちになります・・・今でも山深いここ椎葉村で、1,000年近くもよく残ってきたよなぁと、受け継いでこられた現地の方々の心意気には敬服致します。
民謡は、民間伝承型であればどの曲によらず「いつとはなく、誰ともなく、唄いだされたもの」であり、それは恐らく、もっと無数にあったはずで、しかし生き残るにはやはり「名曲」でなければならないわけです。それは長年に亘って多くの人々が、知恵を絞って改良を重ねた場合と、殆ど廃れたものを近年になって有識者が改変して生まれ変わった場合とがあるわけですが、いずれにしてもその曲に「魅力」というものがあってこそでして~ それからいくとこの稗搗節は、古今東西の人々を惹きつけてやまない魅力、もっと言えば「ロマン」があると思うんです!
個人的なハナシで恐縮ですが、僕は自身のJAZZコラボ曲の一つに「バラード稗搗節」があるのですが、何方がお聴きになっても「ラブソングだね」と仰います。大八と鶴富姫は、確かに今でも、かの地で生き続けていると思います。
歌詞を読んでみよう
庭の山椒(さんしゅ)の木 鳴る鈴かけて「ヨ オーホイ」
鈴の鳴る時ゃ 出てお じゃれ「ヨ」
鈴の鳴る時ゃ なんと言うて出ましょ「 」
駒に水くりょと 言うて出 ましょ「 」
おまや平家の 公達流れ「 」
おどま追討の 那須の 末「 」
那須の大八 鶴富捨てて「 」
椎葉立つ時ゃ 目にな みだ「 」
なんぼ搗いても この稗搗けぬ「 」
どこのお倉の 下積 みか「 」
詳しい解説
宮崎県民謡。
東臼杵郡椎葉村の労作唄であり、現在では九州の代表的民謡として一般に愛唱されている。
椎葉村は熊本県に近い山村で、米はとれず、傾斜のきつい山肌に焼き畑をつくり、稗、粟などを植えて常食としてきた。人家は山のあちこちに点在していて普段は淋しいが、冬の農閑期になると親しい者同士が集まり、立臼を囲んで威勢よく稗搗きをする。その時の唄なのである。
歌詞は、1185年壇ノ浦の戦いで敗れ、この地に逃れた平家残党の中の鶴富姫と、源氏の追討使で、屋島の戦いの折りに扇の的を射抜いた那須与一の実弟、那須大八郎宗久との伝説を唄っている。那須大八と鶴富姫は、現在の上椎葉部落の鶴富屋敷で恋仲となった。大八は武士を捨てて共に暮らそうとするが、鎌倉の大将源頼朝から帰還の通達を受け、涙ながらにこの地を去った。この時、鶴富姫は大八の子どもを身ごもっていたという。有名な大八と鶴富姫との悲恋物語である。ただ、遺児が女子であったため那須姓を継がせた。当地に那須姓が多いのはそのためである。
現在残っている節は、椎葉村出身の民謡歌手、椎葉幸之助の「幸之助節」、長友勝美が一般受けするように改作した「長友節」、そして地元に残る元唄の三種類である。南国の民謡らしい陽旋法が、親しみやすさを醸し出している。
演奏のポイント
お三味線とお唄のDUOでもいいですが、尺八か篠笛を添えてトリオでもいいと思います。レベル的にはさほど難しくはないので、ならばこのシンプルな構成で如何にこの曲の持つ温かさを醸し出せるかが、腕の見せ所ですね。労作唄としてなら、農閑期にノンビリとはいえ男仕事ですから、多少の勢いは残るでしょうし、抒情唄として扱うなら、悠久のロマンスを味わいたいところです。解説にもありますが、現地には「元唄稗搗節」というのも残っていて、ここで取り上げているものよりもっと素朴で土の匂いのする節回しですが、かたやちょっとした手踊り的な所作を添えて唄うので、そういう楽しさもあります。
とまれ、しっとりとしたテンポ感で温かく(抽象的な言い方ですがw)演奏してくださいね。
民謡のすすめ