民謡は難しくないし、古臭くない!日本に伝わる民謡を一曲ずつ解説していきます。第14弾は、静岡県民謡「ちゃっきり節」。
20世紀に入ってから作られた新民謡です。ぜんぶ唄おうと思うと、30番まであります。静岡県中部の地名や方言がたっぷり入っているので、静岡県出身の方にとっては懐かしく感じられる民謡ではないでしょうか。静岡県では毎年春に「ちゃっきり節日本一全国大会」も行われていますよ。
児玉宝謹の寸評
往年の方々は「ちゃっきり娘」という、トリオの女流漫談師を思い出されるのではないでしょうか。振り袖を着て、三味線とギターとアコーディオンとで漫談をする三人。ライバルには「かしまし娘」がおられましたね~ 思い出話しは尽きませんが~
この曲も新民謡で、作詞北原白秋、作曲は民謡界の重鎮、町田佳聲という、まぁ~どれだけ高コストな曲でございましょうか(笑) しかも北原白秋師は解説にもありますように、この曲のために相当、手間ヒマお金をかけておられます。そこに至るまでには何度もお断りになられた末にとのこと…芸術家魂の為せる技だと思います。
素晴らしい曲を遺して頂いたことに、我々現代人は深甚の感謝を捧げるのであります。
歌詞を読んでみよう
唄はちゃっきり節 男は次郎長
花は橘 夏は橘 茶の香り
(チャッキリ チャッキリ チャッキリヨ)
「蛙(きゃある)が鳴くんで 雨ずらよ」
茶山茶所 茶は縁どころ
ねえね行かずか やあれ行かずか
お茶摘みに( )「 」
さあさ行こ行こ 茶山のはらに
日本平の 山の平の
お茶摘みに( )「 」
お山見れ見れ あの笠雲を
ねえね着て出や 今朝は着て出や
菅の笠( )「 」
帯はお茶の葉 うぐいす染めよ
赤いたすきの 揃たたすきの
ほどの良さ( )「 」
お茶の茶山の 茶の木の中で
お前っちゃ何と言うた いつか何と言うた
お茶山で( )「 」
日永そよ風 南が晴れて
茶摘み鋏の お手の鋏の
音のよさ( )「 」
山で鳴くのは 薮うぐいすよ
茶摘み日和の 晴れた日和の
気のとろさ( )「 」
茶の実とんとろりと 締木にかけて
かわいおまっちゃの 実はおまっちゃの
髪油( )「 」
詳しい解説
静岡県の新民謡。作詞北原白秋、作曲町田佳聲。
静岡市と清水市の間に広がる日本平(にほんだいら)は、遠くに三保の松原から駿河湾へと展望がひらけた景勝の地で、茶の名産地でもある。昭和2年当時、静岡電鉄と称していた静岡鉄道が、同社経営の料亭兼旅館「翠紅園(すいこうえん)の顧客サービスと、日本平の一角に約3万坪の土地を開いた狐ガ崎遊園地の宣伝歌として、お座敷芸者衆の三味線唄の作詞を北原白秋に依頼した。当時の詩壇第一人者の北原白秋も、民謡の作詞は初めてということ等から何回か断った後にようやく引き受けて、静岡の地を訪れた。
以来、一ヶ月以上毎晩のように芸者遊びをする一方、静岡の温和な気候と美しい風土、風俗、習慣、史実、伝説、方言、名所名産、更にお茶に関しては茶摘みのはじめから製法、輸出状況、用途などをつぶさに調べ上げて、およそ30首にも及ぶ詩を作詞した。次いで白秋は、作曲を町田佳聲に依頼するのだが、伴奏が無ければ唄えないようにと注文をつけた。
かくして創作されたこの唄は戦後、市丸がビクターレコードに吹き込んで一躍有名となり、昭和38年産経新聞社主催「全国民謡コンクール」では第一位になっている。後年、日本平にはちゃっきり節の碑が建てられた。
なお、昭和2年内に「狐音頭(きつねおんど)」「新駿河節」も同じコンビで完成している。遊園地の園内に十七夜山千手寺(じゅうしちやざんせんじゅじ)という寺があり、その背後にある狐塚を唄ったのが「狐音頭」である。
茶切節と書かれることもあるが、感覚的な白秋の詩風としては、やはり「ちゃっきり節」とするのが正しい。
演奏のポイントと難易度
構成:唄。三味線。篠笛。お囃子。
難易度:2/5
弾き唄いも可能ですが、如何にも楽しげな曲想なので、アンサンブルがいいでしょう。篠笛がセオリーではないですが、僕は敢えて入れてほしいと思います。メロディを追うのではなく、韻を踏んで伸びやかに演奏する部分と、チャキチャキした部分との対比を表現できれば素晴らしいですね。