民謡は難しくないし、古臭くない! 日本に伝わる民謡を一曲ずつ解説していきます。
「北海道シリーズ全10曲」7曲目は「浜小屋おけさ」。かなりレアな新民謡です♪
児玉宝謹の寸評♪
北海道にもおけさがある!? と思ったあなた、民謡通ですね。。。でも新民謡ということは、本土から移入されたものか!? っと思ったあなた、更に民謡通ですね。。。となると、作詞作曲は誰か? っと思ったあなた、指導者レベルですね。。。でもひょっとしたら詳しい解説文は有るのかな? っと心配して下さったあなた、ししょ~通ですね(爆) まぁ、詳しくは後述しますんで~。。。
歌詞を読んでみよう♪
(ハ アリャサ サッサ)
赤い夕陽と 鴎島 磯で波打つ浜千鳥 今日も帰らぬ もやい船(ハ アリャサ サッサ)
( )今日は戻りの 主の船 せきくる涙を おさえつつ 添えぬ一夜を 夜着の中(うち) ( )
( )厚子(あつし)なわおび どんじゃ着て 明日は鴎と 波枕 主の姿を 松のかげ( )
( )今日は来る来る 主が来る 会わぬうちから 身が燃える とてもまともにゃ 顔見れぬ( )
( )ここは北国 鰊場の 恋はかりそめ 仮の宿 添えぬ一夜の 仮の宿( )
( )一夜泊まりの 海の鳥 女心も 知らずして 明日は鴎と 波まくら( )
( )遠くチラチラ 星が降る あれは主乗る 船かいな 泣けてさらばが 言えなんだ( )
( )風の便りに 聞く主は 今は内地の 空の下 呼べど届かぬ 空の下( )
詳しい解説♪
北海道の新民謡と思われる。浜小屋こけさのそのものの解説は見当たらなかったので、土地の風土などを紹介しながら解説に代えたいと思う。
「北海道」とは、明治維新以降に名付けられたもので、元々は「わたり島」とか「蝦夷」と呼ばれた、気象条件の厳しいアイヌ人の天地であった。そんな最果ての地に津軽海峡を渡って住み着いた人々は、鰊漁の繁栄をもたらした商人や漁師、また明治維新で封建制度が崩壊し食碌を離れた武士たち、そして新天地の開拓を夢見た貧しい農民やその家族たちであった。特に「開拓移民」と呼ばれ、帰るに家のない後者の人々にとって北海道は第二の故郷であり、何が何でも厳しさに耐え、生き抜いていくべき土地であった。しかし労働が厳しい程、人は遥かな故郷を偲び、異郷の辛さ寂しさを癒す糧として、故郷の神事や祭事、唄や踊り、芝居などを再現し移し替えていったのである。
故にある人は「開拓地である北海道には独自の芸能はない」とさえ言う。確かに前述の経緯からその殆どは本州から移入されたものだが、今の残る郷土芸能の数々は、厳しい風土と生活と歳月の中でいつしかその源を離れ、本州とは異なるこの土地ならではの独自のものに成長していったものであり、「風土が産み庶民の中で成長するのが郷土芸能」である事を思えば、北海道には誇っていい郷土芸能が沢山あると解釈できる。
「おけさ」の源流は新潟であるから、この「浜小屋おけさ」もそうした経緯によって移入されたものではないだろうか・・・
演奏のポイント♪
お三味線、尺八か篠笛(篠笛が似合いかな)、鳴り物に、お囃子とお唄という、民謡クインテットです。滅多に聴かない民謡ですので、通常のセオリーを踏襲していくのでしょうね。例えばお三味線は、地域性からして太棹・・・いやいや、おけさは細棹でしょうとも思うのですが、では新潟から細棹を取り寄せる? いやそれは無いでしょうとか、そういう事を考えると、この地にあるもので賄って、スピリットは故郷で、というふうになっていくでしょうね。
そうなると曲想は、限りなく新潟のそれに近付けるべきです。望郷の念と、現実とを、うまくミックスして・・・
って、口で言うのは簡単ですが、これはやはり実際にそういう経験をなさったご本人とかご家族でしか分からない心境ですよね~ 歌詞の内容も殆ど、男女の切ない心情を唄ってますが「今は内地の空の下」に、この民謡のシチュエーションが凝縮されているように思います。そこを大事に表現なさって下さいね。