日本民謡ガイドブック

民謡ガイド⑥ 音戸の船唄 〜解説、歌詞、意味〜

音戸の船唄

民謡は難しくないし、古臭くない!日本に伝わる民謡を一曲ずつ解説していきます。第6弾は、広島県の民謡、音戸の船歌。

この歌は、瀬戸内海の艪漕舟唄として広い地域で親しまれてきました。呉市と音戸町との間にある「音戸の瀬戸」は、干満につれて急流となり渦が生まれます。難所であるこの海路は船頭泣かせでもありました。唄ってみると、その船頭たちの緊張と勇敢さを感じることができます。

児玉宝謹の寸評

このシリーズ初の竹物、つまり尺八唄です(長物とも)。

解説にもあるように、激流の中へ漕ぎ出す時の唄なので、竹物らしい悠長な感じとはちょっと違いますね。やはりサクサクとしたテンポ感が特徴です。日本民謡で竹物と一口に言っても、シチュエーションによって本当に千差万別。山の唄、川の唄、田んぼの唄、お座敷唄、子守唄、祭りでは木遣りが竹物である頻度が高いとか、それぞれが実に個性的!そんな中でこの曲は海の唄というわけです。

僕も子どもの頃、この辺りに海水浴に行ったことがありますが、潮目が変わる時なんて、海全体が川の激流のようになるのに驚いたことを覚えています。ホント川ですよ、川!まぁ、いくらなんでもそんな最中には漕ぎ出さないでしょうけどね(*^^*)

あと、地元の古老曰くの「もとはここの唄。あれは真似じゃ」というのは、民謡ではアルアルです(笑) 僕は常々「民謡は大間違いな伝言ゲーム」と言ってます。創作された新民謡以外は本来「いつとはなく、誰ともなく、唄い出された」というのが大多数を占めるので、その発端を探るのはある意味ナンセンス。じゃその古老に「そのソースは?」と問えば「昔、○○が言うとった」というレベルだから「まぁ、ええやないか」と僕は思うし、そんな曖昧なものでも今日まで残ってるということのほうに、僕は価値を見、フォーカスしたいと思うのであります。


海に守られた平和な国だからこそであり、でも来歴由緒が詳らかであろうと、滅びるものは滅びるのが浮世の習い。特に現代は~

さぞのど自慢であられたであろう船乗りさんを思いながら、唄いたいものです。

 

 

歌詞を読んでみよう!

「ヤーレノ」船頭可愛いや 音戸の瀬戸で「ヨ」  一丈五尺の「ヤーレノ」 櫓がしわる「ヨ」    「    」泣いてくれるな 出船の時は「  」  沖で櫓櫂の「   」 手がしぶる「  」   「    」沖のカモメの 鳴く声聞けば「  」  船乗り家業は「   」 やめらりょか「  」 「    」ここは音戸の瀬戸 清盛塚の「  」  岩に渦潮ドンと「   」 ぶち当たる「  」 「    」安芸の宮島 回れば七里「  」   浦は七浦「   」 七恵比寿「  」
「    」男伊達すりゃ 音戸の瀬戸の「  」   潮の流れを「   」 止めてみしょ「  」
「    」浮いたカモメの 夫婦の仲を「  」   情け知らずの「   」 伝馬船「  」
「    」船頭可愛いと 沖行く舟に「  」   瀬戸の女郎衆が「   」 袖ぬらす「  」

詳しい解説

広島県民謡。安芸郡音戸町を中心に唄われている櫓漕ぎ唄。

音戸の瀬戸は平安時代中期、平清盛が切り開いた百メートル幅のいわば運河である。従って潮の満ち干の度に大渦が巻き起こり、激しい潮流をつくる。

船唄が唄われる場合は二つあって、漁場へ行く時と、港へ帰る時である。前者は大漁の期待から元気はあるが余力をたくわえる意味でゆっくりと唄われ、後者は魚の鮮度が落ちないうちに市場へ急ぐのでテンポが早い。よってこの唄は、前者の趣きが強いという事になるが、潮流の中へ漕ぎ出す割には、やや緩慢な印象ではある。

倉橋島の「海老網櫓漕ぎ唄」と酷似していて、島の古老たちは「音戸の船唄は、ここの真似じゃ」と語っている辺り、或いはそうなのかもしれない。

ただ県内に限らず、瀬戸内海各地を始め山陰や九州地方にも、農作業唄や酒造り唄として同系統の唄があり、どれが元唄かは不明である。一説には、この唄が内陸部に入ってそれらに影響を与えたとも言われている。

現在唄われている節は、地元音戸町在住の高橋訓昌氏が、先輩にあたる八城政人氏の唄を覚え、NHKで放送されたものである。それ以後は多くの人が様々な節回しで表現するようになったが、反面、古い素朴で力強い魅力は崩れていくのではと言われている。

演奏の難易度とポイント

構成:尺八。唄。

レベル:3/5

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