民謡は難しくないし、古臭くない!日本に伝わる民謡を一曲ずつ解説していきます。秋田県シリーズ最後の第㉞弾は「秋田船方節」。秋田民謡の王座ともいえる曲です♪
児玉宝謹の寸評
秋田民謡の代表格!王座!秋田民謡を語るなら、この曲を知らないでは済まされない!などなど・・・それほどまでに風格のある楽曲です。民謡の伝搬というテーマで語る時、♪ハイヤ ♪追分 ♪船方節 ♪伊勢音頭 この4つが、伝搬経路が長い若しくはエリアが広いのですが、船方節カテゴリだけで語ったとしても、秋田船方節は全国の船方節の中で最も完成度が高いでしょうね~ 県人会でも、余興にのど自慢さんが唄うならベスト3に入るほどの定番曲だし、一般の方でも民謡を習うなら、いつかはクラウンいや違った(笑) いつかは秋田船方節を唄えるようになりたいと、羨望の眼差しを集める曲でもあります。
一番の特徴は、歌詞が1コーラスしかない。でもそれが長い。ということです。船乗りの思いを、この一点に凝縮しているのかもしれませんね。。。
歌詞を読んでみよう
*ハァ ヤッショウ ヤッショウ
「ハー」 *
三十五反の *
帆を巻き上げて *
鳥も通わぬ 沖走る その時、時化に遭うたなら *
綱も錨も 手につかぬ 今度船乗り やめよかと *
とは言うものの 港入り 上がりてあの娘の 顔見れば *
辛い船乗り 一生末代孫子の代まで やめられぬ *
詳しい解説
秋田県民謡。
秋田県で唄われている「船方節」には二種類ある。実際の労働歌として生活に即したものと、そこから発展して、演奏用、鑑賞用としてお座敷向きに改められたものとである。従って伝搬の経緯は、必ずしも船頭や水夫達によって海や川から伝わったものだけではなく、陸上交通によるものもある。前者が素朴な野性味を持つのに対して、後者は華麗で技巧的なものが多い。
「秋田船方節」には後者の様相が濃く、一時、海を渡って船川、能代、本荘等に上陸したものが、お座敷用に改められたという説が強い。前奏の三味線の華やかさなどは、その説を裏付けるに充分である。
現在の「秋田船方節」の元唄は「船川節」だといわれている。島根県の「出雲節」が北に運ばれ、各地に船唄、船方節となって定着したものであろう。これらの唄に共通な「三十五反の帆を巻き上げて」という歌詞などでも、その消息が窺い知れる。
現在唄い残されている船川節は極めて素朴なものだが、現在の形にまとめ上げたのは、地元出身の森八千代氏で、大正末期から昭和初期にかけて独特の節回しで公演した。その後、昭和33年、秋田県出身の佐々木常雅氏が、NHKのど自慢でこの唄を唄って優勝し、続いて38年ののど自慢大会で田中アエ子、日本民謡大賞で小野花子両氏がこの唄で日本一となり、秋田民謡の王座を占めるに至った。
演奏のポイント
津軽三味線、尺八、〆太鼓、唄、お囃子、完全5人のクインテットです。しかし考えてみれば、民謡というのは、2人とか5人とかで成り立つんですよね。もちろん大規模なものもありますが、見渡してみればバロック音楽や、世界中の民謡も大抵こういうスタイルですね。所要時間も数分だし、本当にサクッと「楽しい」ものなんだなぁと思います。
ただ、冒頭の寸評にもありますように、華やかで技巧的というのはやはり高難度であるということなので、この曲と取り組むなら、なかなか一朝一夕にはいきませんよぉ~
特に、この歌詞のシチュエーションは如何でしょうか? 船乗りというのは、今でこそ鉄の塊で大型化してるし、危機管理マニュアルも確立されているので、命の危険に遭遇するようなエマージェンシーは少なくなりましたが、昔は「板子一枚下は地獄」と言われたもので、時化に遭うと生死は本当に紙一重でしょうから、そりゃやめたくもなったと思いますよ。でも、一生末代孫子の代までやめられないとまで思い直すのは、あの娘の存在だけではなく、実は儲かったから・・・ そういった悲喜交々を、特に最後の”つらい~”に込めて、海の男らしいパワフルな感じで唄い上げ、演奏していけたらいいと思います。