民謡は難しくないし、古臭くない!日本に伝わる民謡を一曲ずつ解説していきます。第22弾は福島県民謡、相馬盆唄です。
盆踊りの定番曲なので、地域によっては「題名は知らなかったけど、聞いたことある」という方も多いでしょう。その軽快なメロディーの裏には、とっても興味深い歴史や由来があります。ぜひその背景を知ってから改めて聞いてみてくださいね。
児玉宝謹の寸評
イベント唄シリーズのラスト。相馬盆唄。盆踊りの定番曲です♪ 歌詞の内容は、どれも目出度く豊かなものばかり。音律もメジャーで、本当にウキウキする民謡です。
がっ!
この唄がなぜこうなったのか? なぜこんなに楽しげなのか?その答えが天明の大飢饉だったとは(汗)
発端は先ず浅間山の大噴火に始まります。これによりその以東地域は、火山灰で昼前でも月明かり程度の明るさに。加えて梅雨前線が例年より早く日本列島を覆い、それはなんと秋頃まで続いて、そのまま冬に突入…成りものは全くのゼロ、各村の備蓄も底をつき、やがてバタバタと餓死していきます。死体を貪る者も現れ、正に生き地獄の様相だったろうことは容易に想像できます。
飢饉という災害は、例えばこのように長雨が続いたとして、たまに快晴の日があったとしても、すぐに食べ物が出来て解決するというわけではないので、ものすごく根深い災害だと言えます。そんな最中に、この明るさ!このポジティブな歌詞!唄って踊って(汗) 胆力ハンパない!
この当時の方々のこの凄まじい胆力がなかったら、いま我々はこの国に生まれてこれなかったでしょう…。 その事を深く噛み締めながら、楽しさを味わいたいと思います。
歌詞を読んでみよう
(ハ ヨイヨイ ヨーイトナ・コラショ)
「ハアーイヨー」今年ゃ豊年だよ(ハ コーリャコリャ)穂に穂が咲いて「ヨ」(コラショ)
「ハアー」道の小草にも 「ヤレサヨ」米が成る「ヨ」
「 」道の小草に( )米成る時は「 」( ) 「 」山の木萱に 「 」金が成る「 」( )
「 」踊り踊りたし( )この子が邪魔だ「 」( )
「 」この子黙すような「 」守り欲しい「 」( )
「 」揃た揃たよ( )踊り子が揃た「 」( ) 「 」秋の出穂より「 」よく揃た「 」( )
「 」踊り踊るなら( )今晩限り「 」( ) 「 」明日の晩から「 」かごの鳥「 」( )「 」踊り疲れて( )寝てみたものの「 」( ) 「 」遠音囃子に「 」寝つかれぬ「 」( )
「 」盆の十六日( )二度あるならば「 」( ) 「 」お墓参りに「 」二度参る「 」( )
「 」唄いなされや( )お唄いなされ「 」( )
「 」唄でご器量が「 」下がりゃせぬ「 」( )
「 」盆が来たとて( )正月来たて「 」( ) 「 」親父着せなきゃ「 」丸裸「 」( )
「 」今日の受け取り( )二枚田限り「 」( ) 「 」番に行くべや「 」踊り見に「 」( )
「 」今年ゃ豊年( )泥田の水も「 」( ) 「 」飲めば甘露の「 」味がする「 」( )
詳しい解説
福島県民謡。
旧相馬領の相馬、双葉両郡内で広く唄われている盆踊り唄。相馬出身の民謡歌手初代鈴木正夫氏のレコーディングで全国に広まった。その時「相馬盆唄」と名付けたために今でもそうなってはいるが、正しくは古くから言われている「相馬盆踊り唄」である。
いつ頃から唄われていたのか定かではないが、一説には文化文政年間であるという。当時の相馬藩は有名な天明の大飢饉で人口の実に3分の2を失うという大惨事であったため、復興にあたった藩の家老3名が自ら作詞して農民に踊らせ、和楽と団結を図った唄とも言われている。相馬地方で民謡が盛んになったのは文化文政以後であると推測されるだけに、この説の信憑性は高い。
旋律はいわゆる「アレサ式盆踊り」の典型で、この系統は県内の全域、特に中通り地方と浜通り地方で盛んに唄われ、県外北では山形県の庄内村山地方、南は栃木県の「日光和楽踊り」や埼玉県の「秩父音頭」に繋がっていく。
唄い出しの“ハアー”は鈴木氏の工夫で、今では正調として流布しているが、古来の節はもっと単純であったらしい。
演奏のポイント
これもいわゆる盆踊り唄ですから、人数もたっぷり使って、賑やかに唄い踊りましょお~♪
前述のように、まさかの飢饉の最中の創作。それでも一定の品格を保ってる辺りは、正に胆力!演奏する時はその辺りも意識しつつ、楽しい雰囲気を出して下さいね。