日本民謡ガイドブック

民謡ガイド㉓ 黒田節 〜解説、歌詞、意味〜

黒田節

民謡は難しくないし、古臭くない!日本に伝わる民謡を一曲ずつ解説していきます。第23弾は福岡民謡、黒田節です。

酒宴で唄われる、おめでたい定番曲。有名なだけではなく、その歴史を紐解けば興味深い由来が詰まっています。歴史好きな方や、大河ドラマ好きな方にはぜひしみじみ味わってほしい一曲。どうぞお楽しみください。

児玉宝謹の寸評

民謡はよくご存知ない往年の方々にとっては、「黒田節なら知ってる」という有名曲です。かたや今どきの若者には馴染みは浅いかも知れませんが、それでも「神社で聴こえてくる、あのメロディーは、黒田節の元の曲だよ」というと、「あー、そうなんや!へぇ~」っとなります。。。

黒田節は日本民謡中、最古の歴史を持つと言ってもいいでしょう。

なにしろ雅楽の越天楽今様に端を発するのですから~1,200年以上!? もちろん元の雅楽はそれ以上ということですが、平均して400~600年の歴史と伝統という民謡ジャンルの性質からすると、黒田節はダントツですよぉ~。なにしろその格式。どうよw

民謡の楽しみ方

 

でも、だからと言って何処でもかしこでもドヤ顔で唄わないで下さいね。居眠りする方が続出しますから(爆)

 

 

歌詞を読んでみよう

酒は飲め飲め 飲むならば 日の本一の この槍を 飲みとる程に 飲むならば これぞ真の 黒田武士
峰の嵐か 松風か たづぬる人の 琴の音か 駒ひきとめて(駒をひかえて)立ち寄れば 爪音高き 想夫恋
春の弥生の 曙に 四方の山辺を 見渡せば 唐人も 高麗人も 大和心に なりぬべし
******
(この歌詞の異説2句↓)
花より明くる 三芳野の 春の曙 見渡せば 唐国人も 高麗人も 大和心に なりぬべし
春の弥生の 曙に 四方の山辺を 見渡せば 花盛りかも 白雲の かからぬ峰こそ なかりけれ
******
夜須の朝日の 弥四郎は 親に孝行 尽くしつつ 牛馬にむちを あてざれば 受持の田は 作りどり
古き都に きてみれば 朝芽が原と なりにける 月の光は くまなくて 秋風のみぞ 身にはしむ
こまのわたりの 瓜つくり 瓜も人に とらせじと もる夜あまたに なりぬれば 瓜を枕に 眠りけり
薗生の梅の 追風に わがすむ山ぞ 春めきぬ 門田の雪も むら消えて 若菜摘むべく 世はなりぬ
花橘も におうなり 軒のあやめも 香るなり 夕暮れさまの 五月雨に 山ほととぎす 名のるなり

詳しい解説

福岡県民謡。

黒田節の前身は、朗詠式の「今様歌」である。今様は平安中期から流行した白拍子遊女が歌う七五調四句の歌で、後には宮廷貴紳にも愛唱され、宮中の節会などでも歌われた。雅楽越天楽の旋律で歌うものを「越天楽今様」といい、後にこの歌を、福岡52万石黒田藩主が特に愛唱し、藩士も新しい歌詞を作って興じた。明治以降は俗謡の影響を受けて陽旋律から陰旋律に変わり現在の形になった。

有名な「酒は飲め飲め」の歌詞には次のような実話がある。天正18年、豊臣秀吉の小田原城攻略の折、手柄を立てた福島正則は秀吉から「日本号」という名槍を送られて祝宴を張っていた。そこに黒田二十五騎の一人、毛利但馬守友信(母里太兵衛とも)が使者としてやってきた。正則は大盃を出して酒を勧めたが、毛利は酒を禁じられていたため、祝宴であっても受けようとしなかった。

ならば望みの品を褒美として使わすと言われると、大盃を3杯もあけて「日本号の名槍を所望」と願った。驚いた正則ではあったが、武士の一言と名槍を毛利に与えたというのである。

戦前期によく唄われた「皇御国(すめらみくに)」の歌詞は、筑前の勤皇家加藤司書の作である。司書は黒田藩2,800石の中老で、五卿を太宰府に迎えるなど、薩摩や長州と謀って大いに奔走するところがあったが、慶応元年、幕論が佐幕に急変すると捕らえられ、切腹して果てた。

「黒田節」の名になったのは、昭和3年NHK福岡放送局の芸能係であった井上精三氏によるものである。それからは、男性的で親しみ深い曲調から、大衆に愛される福岡県の代表的民謡となった。

 

演奏のポイント

これは弾き唄いにとって基本中の基本という曲なんですが、敢えてセパレートのほうが相応しいでしょう。お三味線と、篠笛か尺八(個人的には篠笛が似合うかなぁと)、そしてお唄ですね~ 。

格調高く、朗々と、威風堂々と、演奏して下さいませませ。。。

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